「仏」を含むことわざ

全24件

朝題目に宵念仏
あさだいもくによいねんぶつ
しっかりとした考えをもたないことのたとえ。朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え、夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱えるという意から。
居仏が立ち仏を使う
いぼとけがたちぼとけをつかう
座っている者が、立っている者に用事を頼むたとえ。「居仏」は、座像の仏のこと。
今際の念仏誰も唱える
いまわのねんぶつだれもとなえる
不信心な人でも、死に際には念仏を唱えて仏にすがるということ。
馬の耳に念仏
うまのみみにねんぶつ
人の意見や忠告を上の空で聞き流すため、まったく効果のないことのたとえ。
鬼にもなれば仏にもなる
おににもなればほとけにもなる
相手次第、出方次第で、鬼のような恐い存在にもなれば、仏のようにやさしい存在にもなるということ。
鬼の念仏
おにのねんぶつ
鬼のように冷酷な心を持った者が、うわべだけ情け深い様子を見せること。
蟹の念仏
かにのねんぶつ
蟹が口から泡を出すように、口の中でぶつぶつとつぶやくことのたとえ。
木仏金仏石仏
きぶつ かなぶつ いしぼとけ
融通の利かないひと。特に男女の情愛に疎いひとのこと。
食い物と念仏は一口ずつ
くいものとねんぶつはひとくちずつ
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏も一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。「食べ物と念仏は一口ずつ」ともいう。
極楽の入り口で念仏を売る
ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる
知り尽くしている人にものを教えるたとえ。
事ある時は仏の足を戴く
ことあるときはほとけのあしをいただく
普段は不信心な人でも、困ったときには仏の足元にひれ伏して救いを求めるというたとえ。
彩ずる仏の鼻を欠く
さいずるほとけのはなをかく
念を入れすぎたため、かえって大切な部分をこわしてしまうたとえ。「彩ずる」は彩色を施して飾る意。仏像を作り上げるのに、もう少し良くしようと手を加えているうちに肝心な鼻を欠いてしまうことから。
地獄で仏に会ったよう
じごくでほとけにあったよう
非常に困っている時に、思いがけない助けに出会った時の嬉しさのたとえ。単に「地獄で仏」ともいう。
出家の念仏嫌い
しゅっけのねんぶつぎらい
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いという意から。
知らぬが仏
しらぬがほとけ
知れば腹も立つが、知らないばかりに仏のように穏やかでいられるということ。また、実態を知らずに平然としている人をあざけっていう言葉。
知らぬ仏より馴染みの鬼
しらぬほとけよりなじみのおに
どんなに善い人でもよく知らない人より身近な人、懇意にしている人のほうが頼りになるというたとえ。知らない仏様より、よく知っている鬼のほうがいいという意から。「知らぬ神より馴染みの鬼」ともいう。
他人の念仏で極楽参り
たにんのねんぶつでごくらくまいり
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
ないが極楽知らぬが仏
ないがごくらく しらぬがほとけ
貧しい者は贅沢を知らないので、欲に悩むこともなく幸せに暮らしていけるということ。
女房鉄砲仏法
にょうぼう てっぽう ぶっぽう
女性は雰囲気を和らげ、鉄砲の力で治安を保ち、仏法で人の心を正しく導く。この三つの力で世の中がうまく治まっているということ。
寝た間は仏
ねたまはほとけ
どんな悪人でも眠っている間は仏のように無心だということ。また、眠っている間は苦労や心配も忘れ、仏のような心になれるということ。
豚に念仏猫に経
ぶたにねんぶつ ねこにきょう
ありがたい教えも理解できないものにとっては、なんの効果もないことのたとえ。
仏の顔も三度
ほとけのかおもさんど
どんなに温和な人でも、何度も無礼なことをされれば腹を立てるというたとえ。いかに慈悲深く心の広い仏でも、顔を三度もなでまわされると腹を立てるという意から「地蔵の顔も三度」ともいう。
見ぬは極楽知らぬは仏
みぬはごくらく しらぬはほとけ
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるという意から。
我が仏尊し
わがほとけとうとし
自分が大切にしているものは、他のどんなものより尊く思えることのたとえ。