「野」を含むことわざ

全7件

後は野となれ山となれ
あとはのとなれやまとなれ
目前の問題さえ片付けば、あとはどうなってもよいということ。
蟻の熊野参り
ありのくまのまいり
多くの人が、ひっきりなしにぞろぞろ列を作って行くこと。昔、紀伊国(和歌山県)の熊野に参詣する人々が、まるで蟻の行列のように長く続いていたことから。
伊勢へ七旅熊野へ三度
いせへななたび くまのへみたび
信仰心が深いことのたとえ。伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りしたことがあるほど信仰深いという意から。このあと続けて「愛宕様へは月参り」ともいう。
娑婆で見た野次郎
しゃばでみたやじろう
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。ある僧侶が佐渡で土中入定すると見せかけて、こっそり越後に渡り、そこで知り合いの野次郎という男に声をかけられたが知らん顔をするが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た野次郎か」と言った笑い話に基づくという。「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
千里の野に虎を放つ
せんりののにとらをはなつ
災いのもとになる危険なものを放置するたとえ。千里四方の野原に虎を野放しにするという意から。「虎を千里の野に放つ」ともいう。
焼野の雉子夜の鶴
やけののきぎす よるのつる
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。「雉子」は雉(きじ)のことで、巣のある野を焼かれても、雉は危険を顧みずにわが子を助け、霜の降りる寒い夜に鶴は自分の羽を広げて子を暖めるということから。
野狐禅
やこぜん
禅の修行者が、まだ悟り切っていないのに悟ったつもりになってうぬぼれること。転じて、生半可な知識で物事を理解したような顔でうぬぼれている人のこと。「生禅」ともいう。