「楽」を含むことわざ

全40件

あって地獄なくて極楽
あってじごく なくてごくらく
金と子どもは、あれば苦労が絶えないので、むしろないほうが気が楽だということ。
親苦子楽孫乞食
おやく こらく まごこじき
親が苦労して築いた財産も、子が楽をして使い果たし、孫の代は乞食のような暮らしになりがちだというたとえ。
楽屋から火を出す
がくやからひをだす
自ら災いや騒ぎを引き起こしてしまうたとえ。「楽屋」は、内部の意。
楽屋で声を嗄らす
がくやでこえをからす
無駄な努力をするたとえ。また、いくら努力しても人に認められないことのたとえ。役者が楽屋で稽古をし過ぎて声を嗄らし、本番の舞台で声が出なくなることから。
歓楽極まりて哀情多し
かんらくきわまりてあいじょうおおし
喜びや楽しみが極まると、あとは悲しみの情が生じるということ。
聞いて極楽見て地獄
きいてごくらく みてじごく
人から聞いた話と実際にに見るのでは、非常に差があるというたとえ。
苦あれば楽あり
くあればらくあり
苦労のあとには、楽しいことが待っているということ。「楽あれば苦あり」のあとに続けても言う。
苦する良かろう楽する悪かろう
くするよかろうらくするわるかろう
いま苦労すれば将来はよくなり、あとで楽ができるが、いま楽をして遊んで暮らせば、あとで苦労しなければならないということ。
苦は楽の種
くはらくのたね
今の苦労は将来の幸福につながるということ。
食わず貧楽高枕
くわずひんらくたかまくら
貧しい暮らしでも、気楽で穏やかに暮らしていることのたとえ。
君子に三楽あり
くんしにさんらくあり
人格者が楽しみとする三つのこと。両親兄弟が健在なこと、世の中に恥じることのない正しい心を持つこと、優れた人材を教育することをいう。
極楽の入り口で念仏を売る
ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる
知り尽くしている人にものを教えるたとえ。
独楽の舞い倒れ
こまのまいだおれ
自分ひとりで張り切ってやったあげく、結局は力が尽きて無駄なことに終わってしまうたとえ。くるくると回っていた独楽が、最後はごろんと倒れてしまうことから。
地獄極楽は心にあり
じごくごくらくはこころにあり
地獄や極楽は、人の心の中に存在する。つまり、心の持ちようで、地獄にも極楽にもなるということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ
しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
仁者は山を楽しむ
じんしゃはやまをたのしむ
仁徳の備わった人は、心が静かで何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
信心過ぎて極楽を通り越す
しんじんすぎてごくらくをとおりこす
信心も度を越すと迷信や邪道に陥ってかえって害になるということ。
千秋楽
せんしゅうらく
芝居や相撲などの興行の最後の日。また、物事の最後のこと。本来は雅楽の曲名で、法会の最後に演奏されたことから。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず
せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も伯楽に会わず
せんりのうまもはくらくにあわず
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
太平楽
たいへいらく
好き勝手なことを言ってのんきにしていること。天下泰平を祝う舞楽の一つから。
他人の念仏で極楽参り
たにんのねんぶつでごくらくまいり
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
楽しみ尽きて悲しみ来る
たのしみつきてかなしみきたる
楽しみが極まると、かえって悲しい思いにとらわれるようになる。楽しいことは永久に続くものではないということ。
知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ
ちしゃはみずをたのしみ じんしゃはやまをたのしむ
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
釣りは道楽の行き止まり
つりはどうらくのいきどまり
魚釣りは最高の道楽だということ。
ないが極楽知らぬが仏
ないがごくらく しらぬがほとけ
貧しい者は贅沢を知らないので、欲に悩むこともなく幸せに暮らしていけるということ。
寝るほど楽はない
ねるほどらくはない
世の中で、のんびり寝ることほど楽なことはないということ。
寝る間が極楽
ねるまがごくらく
寝ている間は現実の心配事や苦労を忘れることができて、まるで極楽にいるようだということ。
伯楽
はくらく
馬のよしあしを見分ける人のこと。また、才能を見出し、育てるのがうまい指導者。中国、春秋時代の名馬を見分ける名人。
伯楽の一顧
はくらくのいっこ
不遇だった者が有力な者に見込まれて世に出ること。「伯楽」は中国、春秋時代の名馬を見分ける名人のことで、市で馬が売れずに困っていた者が、伯楽に頼んで通り過ぎたあとに振り返って馬を見てもらうと、そのとたんに馬に十倍の値がついたという故事から。
人の苦楽は壁一重
ひとのくらくはかべひとえ
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
貧にして楽しむ
ひんにしてたのしむ
貧しくても、それなりに楽しみを持って生活していくということ。
見ての極楽住んでの地獄
みてのごくらく すんでのじごく
外から見るのと、実際に体験するのとでは大違いであるというたとえ。はたから見ると極楽のように見えるが、実際に住んでみるとまるで地獄のようだという意から。「見ては極楽住んでは地獄」ともいう。
見ぬは極楽知らぬは仏
みぬはごくらく しらぬはほとけ
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるという意から。
見るは法楽
みるはほうらく
自分の目でものを見るというのは、たとえようもなく楽しいということ。「法楽」とは神仏に捧げる音楽のこと。転じて楽しみの意。
憂患に生き安楽に死す
ゆうかんにいきあんらくにしす
人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ。
楽あれば苦あり苦あれば楽あり
らくあればくあり くあればらくあり
人生はいつも楽しいことばかりではなく苦しいこともある、逆に苦しいことばかりではなく楽しいこともあるということ。単に「楽あれば苦あり」「苦あれば楽あり楽あれば苦あり」とも言う。江戸いろはがるたの一つ。
楽隠居楽に苦しむ
らくいんきょらくにくるしむ
楽隠居は何もすることがないので、かえって苦痛を感じるものである。気楽な暮らしも、毎日では暇を持て余してしまうというたとえ。
楽は苦の種苦は楽の種
らくはくのたね くはらくのたね
楽をすればあとで苦労を味わい、反対に苦労のあとには楽がある。今の苦労は将来の楽につながるのだから耐えなければならないということ。
我が家楽の釜盥
わがいえ らくのかまだらい
盥を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしでも、我が家ほど楽しい所はないということ。