「十」を含むことわざ
全55件
悪妻は六十年の不作
あくさいはろくじゅうねんのふさく
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。「悪妻は百年の不作」ともいう。
明日の百より今日の五十
あすのひゃくよりきょうのごじゅう
不確かな期待よりも、たとえ量が少なくても、今日確実に手にできるもののほうがよいということ。
一日暖めて十日冷やす
いちにちあたためてとおかひやす
一日だけ努力してあとの十日は怠け、怠けるほうが多いから何の役にも立たないというたとえ。植物を育てる時に、一日だけ日光に当てて暖め、十日は冷やして成長に良くないことをするということから。
一日一字を学べば三百六十字
いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一を聞いて十を知る
いちをきいてじゅうをしる
わずかなことを聞いただけで全体を知得すること。頭の回転が速く理解力があるたとえ。
うかうか三十きょろきょろ四十
うかうかさんじゅうきょろきょろしじゅう
歳月の過ぎるのが早く、人生が無為に過ぎることのたとえ。うかうか過ごしているうちに三十代になり、きょろきょろしている間に四十代になってしまうという意から。
男は二十五の暁まで育つ
おとこはにじゅうごのあかつきまでそだつ
男は二十五歳くらいまでは成長するということ。
鬼も十八番茶も出花
おにもじゅうはち ばんちゃもでばな
器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。鬼の娘でも18という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいという意から。
十八番
おはこ
その人の最も得意とすること。歌舞伎の市川家のお家芸の「十八番」の台本を箱に入れて秘蔵するという意から。
お前百までわしゃ九十九まで
おまえひゃくまでわしゃくじゅうくまで
夫婦がともに元気で仲睦まじく長生きしたいと願う言葉。「お前」は夫、「わしゃ」は妻のことで、この後に「共に白髪の生えるまで」と続く。
親の十七子は知らぬ
おやのじゅうしち こはしらぬ
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
堪忍五両思案十両
かんにんごりょう しあんじゅうりょう
世の中を生きていくためには、腹の立つことをじっと我慢し、よく考えて慎重に行動することが大切だということ。忍耐は五両、熟慮には十両の価値があるという意から。
木七竹八塀十郎
きしちたけはちへいじゅうろう
木を切るには七月、竹を切るには八月、土塀を塗るのは十月が適しているということ。月はいずれも陰暦で、人名のように語呂をあわせて覚えやすくしたもの。
今日の一針明日の十針
きょうのひとはり あすのとはり
すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるという意から。
御意見五両堪忍十両
ごいけんごりょう かんにんじゅうりょう
人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあること。他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。
五十歩百歩
ごじっぽひゃっぽ
多少の違いはあっても、本質的には違いがないということ。戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士を臆病だと笑ったが、逃げたことには変わりはないという故事から。
酒に十の徳あり
さけにとおのとくあり
酒には次の十の長所があるということ。百薬の長、延命の効あり、旅行の食となる、寒さを凌げる、持参に便利、憂いを忘れさせる、位なくして貴人と交われる、労苦を癒す、万人と和合できる、独居の友となる。
三五の十八
さんごのじゅうはち
計算が合わないことや見込み違いのたとえ。
三十九じゃもの花じゃもの
さんじゅうくじゃものはなじゃもの
三十九歳はまだ三十代、これからが盛りで人生の花を咲かせる時期だということ。「四十四十と人言うけれど三十九だもの花だもの」という俗謡から。
三十にして立つ
さんじゅうにしてたつ
三十歳で自己を確立し独立すること。
三十の尻括り
さんじゅうのしりくくり
三十歳にもなると、後始末すべき事柄もきちんとまとめて、堅実な生活をするようになるということ。
三十振袖四十島田
さんじゅうふりそで しじゅうしまだ
女性が年齢に不相応な若づくりをすること。若い女性が着る振袖を三十代の女性が着たり、四十代の女性が年頃の女性のように島田まげを結ったりするという意から。
三十六計逃げるに如かず
さんじゅうろっけいにげるにしかず
計略も様々なものがあるが、困ったときは逃げるのが最良の策だということ。「三十六計」は、古代中国の兵法で使われた三十六種類のはかりごと。その兵法のうち、逃げるという計略に及ぶものはないという意から。
四月の中の十日に心なしに雇われるな
しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
四十肩に五十腕
しじゅうかたにごじゅううで
四十歳、五十歳頃になると、身体のあちこちが痛んで動きが悪くなることをいう言葉。
四十がったり
しじゅうがったり
四十歳になったとたんに体力が衰え始めるということ。
四十くらがり
しじゅうくらがり
四十歳頃になると、視力も衰え始めるということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ
しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
七十五日は金の手洗い
しちじゅうごにちはかねのてあらい
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
十把一絡げ
じっぱひとからげ
いろいろな種類のものを、区別無くひとまとめにして取り扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして粗末に取り扱うこと。
十遍読むより一遍写せ
じっぺんよむよりいっぺんうつせ
何度も読むより、一度書き写したほうが内容をよく理解できるということ。「十読は一写に如かず」ともいう。
十三日の金曜日
じゅうさんにちのきんようび
西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。、キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろある。
十七八は藪力
じゅうしちはちはやぶぢから
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
十読は一写に如かず
じゅうどくはいちしゃにしかず
何回も読むより、一回書き写したほうが内容をよく理解できるということ。「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
姑の十七見た者ない
しゅうとめのじゅうしち みたものない
姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。
十年一日の如し
じゅうねんいちじつのごとし
長い年月、少しも変わらずずっと同じ状態である様子。十年が、まるで一日であるかのようだという意から。
十分はこぼれる
じゅうぶんはこぼれる
物事が十分過ぎるとかえって失敗することがあるので、あまり欲を出さずにほどほどがいいということ。容器いっぱい水をいれると、あとはもうこぼれるばかりだという意から。
十目の視る所十手の指す所
じゅうもくのみるところ じってのゆびさすところ
多くの人が一致して認めること。十人の目が見て、十人の手が指し示す所という意から。
人生七十古来稀なり
じんせいしちじゅう こらいまれなり
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
冬至十日経てば阿呆でも知る
とうじとおかたてばあほうでもしる
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
十日の菊六日の菖蒲
とおかのきく むいかのあやめ
時機に遅れてものの役に立たないことのたとえ。9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないという意から。「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人
とおでしんどう じゅうごでさいし はたちすぎればただのひと
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
十のことは十に言え
とおのことはとおにいえ
物事を理解してもらうためには、過不足なく、順序立てて正確に話さなければいけないということ。
二百二十日の荒れ仕舞
にひゃくはつかのあれじまい
立春から数えて、二百二十日の九月十日頃になると、台風の恐れが少なくなるということ。
女房の悪いは六十年の不作
にょうぼうのわるいはろくじゅうねんのふさく
悪い妻は夫を一生不幸にしてしまうということ。悪い妻をもらうと六十年の不作に匹敵するという意から。
人の意見は四十まで
ひとのいけんはしじゅうまで
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人の噂も七十五日
ひとのうわさもしちじゅうごにち
世間の噂は長く続かず、やがて忘れられるということ。噂話も75日もすれば治まり、忘れられてしまうという意から。
人の心は九分十分
ひとのこころはくぶじゅうぶ
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。「人の心は九合十合」ともいう。
人の七難より我が十難
ひとのしちなんよりわがじゅうなん
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。「難」は難点の意。「人の七難より我が八難」ともいう。
人の十難より我が一難
ひとのじゅうなんよりわがいちなん
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
前十両に後ろ三両
まえじゅうりょうにうしろさんりょう
前から見ると美しいが、後姿はそれほどでもないということ。
六日の菖蒲十日の菊
むいかのあやめ とおかのきく
時機に遅れて役立たないことのたとえ。5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では遅く、9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月11日では間に合わないという意から。「十日の菊、六日の菖蒲」ともいう。
世の中は九分が十分
よのなかはくぶがじゅうぶ
世の中はすべてが自分の思い通りにいくとはかぎらないから、望んだことの九分が叶ったら満足すべきだということ。
世の中は年中三月常月夜嬶十七俺二十負わず借らずに子三人
よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ かかあじゅうしちおれはたち おわずからずにこさんにん
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
六十の手習い
ろくじゅうのてならい
年をとってから学問や稽古事を始めること。「八十の手習い」ともいう。