「山」を含むことわざ
全44件
秋葉山から火事
あきばさんからかじ
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
後は野となれ山となれ
あとはのとなれやまとなれ
目前の問題さえ片付けば、あとはどうなってもよいということ。
一度焼けた山は二度は焼けぬ
いちどやけたやまはにどはやけぬ
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
海に千年山に千年
うみにせんねんやまにせんねん
経験豊富で抜け目なく悪賢いこと。また、そういう人のこと。海に千年、山に千年住んだ大蛇は竜になるという言い伝えから。「海千山千」ともいう。
海の物とも山の物ともつかぬ
うみのものともやまのものともつかぬ
この先どうなるか見当がつかないこと。また、正体がわからないこと。
驚き桃の木山椒の木
おどろき もものき さんしょのき
たいそう驚いたということを「き」の語呂合わせでいった言葉。
海賊が山賊の罪をあげる
かいぞくがさんぞくのつみをあげる
自分の悪行は棚に上げて他人の悪行を非難するたとえ。また、同類であっても利害が共通しない者は敵対するということ。「山賊の罪を海賊があげる」ともいう。
風は吹けども山は動せず
かぜはふけどもやまはどうせず
周囲の騒ぎの中で、少しも動じないで悠然としていることのたとえ。激しい風が吹き荒れても山はびくともしないという意から。
片山曇れば片山日照る
かたやまくもればかたやまひてる
一方に悪いことがあれば、もう一方に良いことがあり、世の中は様々だということ。
枯れ木も山の賑わい
かれきもやまのにぎわい
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
来て見ればさほどでもなし富士の山
きてみればさほどでもなしふじのやま
実際に見ると、想像とは違い大したことがないということが多いというたとえ。富士山はすばらしいと言われているけれども、来てみればそれほどの山ではなかったという意から。
玉山崩る
ぎょくざんくずる
容姿の立派な人が酔いつぶれるたとえ。「玉山」は、珠玉のとれる山から転じて、容姿のあでやかなことのたとえ。
愚公山を移す
ぐこう やまをうつす
忍耐強く努力を続ければ、何事もきっと成就するというたとえ。昔、中国で九十歳近い愚公という老人が、家の前にあって出入りの邪魔になる二つの山を崩し始めた。「私が死んでも子孫に引き継いで続ければいつか必ず出来る」と言った愚公の志に感動した天帝が、山を移してやったという故事から。
国破れて山河在り
くにやぶれてさんがあり
戦乱で国が滅びても、自然の山や川はもとのままの姿で存在しているということ。
車は海へ舟は山
くるまはうみへふねはやま
物事がさかさまなことのたとえ。
葷酒山門に入るを許さず
くんしゅ さんもんにいるをゆるさず
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
恋の山には孔子の倒れ
こいのやまにはくじのたおれ
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
高山の巓には美木なし
こうざんのいただきにはびぼくなし
地位の高い人は人からねたまれたり、批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。高山の頂上に生えている木は、激しい風雨のために美しい姿を保つことができないという意から。
坐しても食らえば山も空し
ざしてもくらえばやまもむなし
働かずに暮らせば、山のような財産があってもやがては尽きてしまうということ。
山雨来らんとして風楼に満つ
さんうきたらんとして かぜ ろうにみつ
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。「楼」は、高殿。山の雨が降り出す前には、前ぶれとしての風が高殿へ吹きつけるということから。「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
山椒は小粒でもぴりりと辛い
さんしょはこつぶでもぴりりとからい
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し
さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし
山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。
山中暦日なし
さんちゅうれきじつなし
山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。
鹿を逐う者は山を見ず
しかをおうものはやまをみず
利益を得ることに夢中になっている者は、周囲の事を考える余裕がなくなり道理を忘れてしまうというたとえ。鹿を追う者は狩りに夢中になり山の様子が目に入らないという意から。
死は或は泰山より重く或は鴻毛より軽し
しはあるいはたいざんよりおもく あるいはこうもうよりかろし
人の命は重んじて大切に守るべき場合と、潔く捨てるべき場合とがあるというたとえ。「泰山」は中国山東省にある山、「鴻毛」はおおとりの羽毛。人の命は、高い山よりも重く見る場合と、おおとりの羽毛よりも軽く見なければならない場合があるという意から。
仁者は山を楽しむ
じんしゃはやまをたのしむ
仁徳の備わった人は、心が静かで何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
船頭多くして船山へ登る
せんどうおおくして ふね やまへのぼる
指揮をとる人が多くて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまうたとえ。船頭が多くいて、銘々が指図するとついには船が山に登ってしまうという意から。
知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ
ちしゃはみずをたのしみ じんしゃはやまをたのしむ
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。
父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し
ちちのおんはやまよりもたかく ははのおんはうみよりもふかし
父母の恩は広大で深いということ。両親の愛情をわかりやすくたとえたもの。
妻の言うに向こう山も動く
つまのいうにむこうやまもうごく
妻の言葉は夫に対して大きな力を持っていることのたとえ。動くはずのない向こうの山でさえも、妻が言えば動いてしまうという意から。
日西山に薄る
ひ せいざんにせまる
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
貧乏柿の核沢山
びんぼうがきのさねだくさん
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏人の子沢山
びんぼうにんのこだくさん
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
巫山の夢
ふざんのゆめ
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。「巫山の雨」「巫山の雲雨」「朝雲暮雨」ともいう。
目に青葉山時鳥。初鰹
めにあおば やまほととぎす。はつがつお
初夏のさわやかな風物を並べたことば。江戸時代の俳人山口素堂の句。
山師の玄関
やましのげんかん
内容や実質がないのに見かけだけが立派なことのたとえ。「山師」は投機的な事業で大儲けをたくらむ人。その山師が人を信用させるために玄関を特に立派にすることから。
山師山で果てる
やましやまではてる
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。
山高きが故に貴からず
やまたかきがゆえにたっとからず
外観がよくても、内容が伴わなければ立派とはいえないということ。物事は見かけだけで判断してはいけないというたとえ。
山に蛤を求む
やまにはまぐりをもとむ
海にすむ蛤を山でとろうとするように、方法を誤ったために決してできないことのたとえ。
山の芋鰻とならず
やまのいもうなぎとならず
世の中では突拍子もない変化は起こらないというたとえ。
山の芋鰻になる
やまのいもうなぎになる
起こるはずのないことが時には起こるというたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。いくら形が似ていても山芋が鰻になることなどありえないが、それが起こるという意から。「蕪は鶉となり、山の芋鰻になる」ともいう。
律義者の子沢山
りちぎもののこだくさん
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
梁山泊
りょうざんぱく
豪傑や野心家の集まる所。「梁山泊」は、中国山東省梁山の麓の沼の名。そこに盗賊ら百八人の豪傑が集まったという話から。
連山の眉
れんざんのまゆ
連なる山のように、横に長く引いた美しい眉のこと。