「生」を含むことわざ
全72件
諦めは心の養生
あきらめはこころのようじょう
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
徒花に実は生らぬ
あだばなにみはならぬ
どんなに見かけがよくても、実質が伴わなくてはよい成果を上げることはできないということ。「徒花」は、咲いても実を結ばずに散る花。どんなに美しい花を咲かせようとも、実のならない徒花では仕方がないという意から。
生き馬の目を抜く
いきうまのめをぬく
生きている馬の目を抜き取るほどすばやいこと。また、ずるくて油断も隙もならないことのたとえ。
生きている犬は死んだライオンに勝る
いきているいぬはしんだらいおんにまさる
どんな偉人でも死んでしまってはおしまいだから、凡人でも生きてる方がいいということ。
生きとし生けるもの
いきとしいけるもの
この世に生きているすべてのもの。
生き身は死に身
いきみはしにみ
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
生きるべきか死すべきかそれが問題だ
いきるべきかしすべきかそれがもんだいだ
生きるか死ぬか、どちらの方法を選ぶべきなのかなど、選択すべき状況で思い悩む気持ちを表す言葉。シェークスピアの戯曲『ハムレット』から。
生簀の鯉
いけすのこい
自由を束縛されていることのたとえ。また、死が待ち受けている運命のたとえ。
医者の不養生
いしゃのふようじょう
口では立派なことを言いながら、自分では実行していないことのたとえ。患者に養生を勧める医者が自分の健康に注意しない意から。
一樹の陰一河の流れも他生の縁
いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん
この世で起こるすべての出来事は、みな前世からの因縁によるということ。一本の木の陰でともに雨宿りし、同じ流れの水を飲むのも、すべてめぐり合わせによるということから。「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
一生添うとは男の習い
いっしょうそうとはおとこのならい
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
生まれながらの長老なし
うまれながらのちょうろうなし
生まれながらにすぐれた人間などいるはずもなく、みんな長い間の修養や経験をつんで立派な人間になるということ。
生まれる前の襁褓定め
うまれるまえのむつきさだめ
物事の手回しがよすぎて大げさなことのたとえ。「襁褓」は、おむつのこと。生まれる前から、赤ん坊のおむつの準備で大騒ぎするという意から。
生みの親より育ての親
うみのおやよりそだてのおや
生んでくれた親より、育ててくれた親に愛情も恩義も感じるということ。
瓜の蔓に茄子は生らぬ
うりのつるになすびはならぬ
一つの原因からは、それ相応の結果しか生まれないということ。また、平凡な親からは、非凡な子どもは生まれないということのたとえ。
漆は剝げても生地は剝げぬ
うるしははげてもきじははげぬ
人は表面を飾ったものがなくなっても、その人の本質的なもの、持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないという意から。
生んだ子より抱いた子
うんだこよりだいたこ
生んだだけで育てていない実の子より、小さい時から育てた他人の子のほうがかわいいということ。
榎の実は生らば生れ木は椋の木
えのみはならばなれきはむくのき
道理が通らなくても自説を曲げずに主張するたとえ。榎の木を椋の木と言った者が、榎の実が生った後も椋の木だと言い続けるという意から。「椋の木の下にて榎の実を拾う」「椋は生っても木は榎」ともいう。
縁なき衆生は度し難し
えんなきしゅじょうはどしがたし
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。「縁」は、ここでは仏縁の意。「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。「度す」は、悟りを開かせること。仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないという意から。
男猫が子を生む
おとこねこがこをうむ
ありえないことのたとえ。
堪忍は一生の宝
かんにんはいっしょうのたから
堪忍は、一生を通して推し量ることができない利益をもたらすということ。また、忍耐の精神は一生の宝として大切にすべきだということ。「堪忍は身の宝」ともいう。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
きくはいっときのはじ きかぬはいっしょうのはじ
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
疑心暗鬼を生ず
ぎしん あんきをしょうず
疑いの心を持つと、何でもないことまで恐ろしく、不安になること。
木の股から生まれる
きのまたからうまれる
人の情、特に男女間の情愛を理解しないことのたとえ。
九死に一生を得る
きゅうしにいっしょうをえる
とうてい助からないだろうと思われた危険な状態に陥りながら、かろうじて助かることのたとえ。助かる見込みが十分の一という命をかろうじて得るという意から。「九死一生」「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」ともいう。
薬より養生
くすりよりようじょう
病気になって薬に頼るより、普段から養生して健康を保つことが大事だということ。
紅は園生に植えても隠れなし
くれないはそのうにうえてもかくれなし
すぐれている人は、どんな所にいても目立つというたとえ。「紅」は、紅花のこと。紅花はどんな花園に植えても際立つという意から。
食わぬ殺生
くわぬせっしょう
自分のためにもならないのに無益な殺生をすること。
芸術は長く人生は短し
げいじゅつはながく じんせいはみじかし
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
現世安穏後生善処
げんぜあんのん ごしょうぜんしょ
法華経を信じる人は、この世では安穏に生活でき、あの世ではよい世界に生まれるということ。
後生畏るべし
こうせい おそるべし
若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。
後生が大事
ごしょうがだいじ
来世の安楽を願って信心することが大切だということ。
後生大事や金欲しや死んでも命のあるように
ごしょうだいじやかねほしやしんでもいのちのあるように
来世の安楽を願いながら、現世の金も欲しいと、あれもこれも願う人間の強欲さのたとえ。
後生願いの六性悪
ごしょうねがいのろくしょうあく
来世の安楽を願っていながら、たちの悪いことをするたとえ。「後生願い」は、来世の極楽往生を願うこと。「六性悪」は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情の「六性」と「性悪」をかけていったもの。
後生は徳の余り
ごしょうはとくのあまり
一生懸命に徳を積めば、おのずと来世の安楽もかなえられるということ。また、現世の暮らしに余裕があってこそ、来世の安楽を祈ることができるということ。
子は産むも心は生まぬ
こはうむもこころはうまぬ
親は子どもは生んでも、その子の心まで産むわけではないから、心が親に似ていなくても当然だということ。
転がる石には苔が生えぬ
ころがるいしにはこけがはえぬ
活発な行動をしている人が、常に健康で生き生きしていることのたとえ。また、転職や転居を繰り返す人は、地位も得られず金も貯まらないというたとえ。「転石苔を生せず」「転石苔むさず」ともいう。
鯖の生き腐れ
さばのいきぐされ
鯖はいたみやすく、新鮮なように見えても腐りはじめてるいることがあるということ。
死しての千年より生きての一日
ししてのせんねんよりいきてのいちにち
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
死生命あり
しせい めいあり
人の生死は天命によるもので、人の力ではどうすることもできないということ。「死生」は、死ぬことと生きること。
死せる孔明生ける仲達を走らす
しせるこうめい いけるちゅうたつをはしらす
生前の威信が死後も保たれ、人々を恐れさせるたとえ。中国、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と対陣中病死した。退却しようとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の姿勢を見せたため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのではないかと恐れ退却したという故事から。
死に別れより生き別れ
しにわかれよりいきわかれ
死別よりも生き別れのほうがつらいということ。
死ねば死に損生くれば生き得
しねばしにぞん いくればいきどく
生きていればいつか幸運にめぐり合うかもしれないから生き得と言えるが、死ねばそれで終りだから死に損である。人は生きていなければどうにもならにということ。
正直は一生の宝
しょうじきはいっしょうのたから
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
生者必滅会者定離
しょうじゃひつめつ えしゃじょうり
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
人生意気に感ず
じんせい いきにかんず
人は相手の心意気に感じて行動するのであって、金銭や名誉のためではないということ。
人生字を識るは憂患の始め
じんせい じをしるはゆうかんのはじめ
人は字を覚え学問をするようになると、心を痛めることが多くなる。なまじ字を覚え学問を積むと、かえって心配したり悩んだりするようになるということ。
人生朝露の如し
じんせい ちょうろのごとし
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
人生七十古来稀なり
じんせいしちじゅう こらいまれなり
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
生ある者は必ず死あり
せいあるものはかならずしあり
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
生は難く死は易し
せいはかたく しはやすし
苦しみに耐えて生きるのは難しいが、苦しみに耐えられず死を選ぶのは容易であるということ。
生は寄なり死は帰なり
せいはきなりしはきなり
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生を偸む
せいをぬすむ
死ぬべき時に死なずに恥を忍んで生きながらえること。また、何もせず、ただいたずらに生きていること。「生」は生命・生活、「偸む」は貪るという意。
先生と言われるほどの馬鹿でなし
せんせいといわれるほどのばかでなし
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
善人なおもて往生を遂ぐ況んや悪人をや
ぜんにんなおもておうじょうをとぐ いわんやあくにんをや
仏の救いを頼みとしない善人でさえ極楽往生を遂げる。まして、仏の救いにすがるしかない悪人が往生できないわけがないということ。
大根の皮取らぬ阿呆生姜の皮取る阿呆
だいこんのかわとらぬあほう しょうがのかわとるあほう
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
小さく生んで大きく育てる
ちいさくうんでおおきくそだてる
子どもは小さい子を楽に生んで大きく育てるのが賢明だということ。事業なども小規模で始めてだんだん大きくしていくのがよいやり方だということ。
どこで暮らすも一生
どこでくらすもいっしょう
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
隣の芝生は青い
となりのしばふはあおい
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。自分の家に比べて隣の庭の芝生が青々としているという意から。
泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生
ないてくらすもいっしょう わらってくらすもいっしょう
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
長生きは恥多し
ながいきははじおおし
長生きすればするほど、恥をかくことも多くなるということ。「命長ければ恥多し」ともいう。
白面の書生
はくめんのしょせい
年が若く、経験の乏しい学者や学生のこと。「白面」は年が若く未熟なこと、「書生」は勉強中の者の意。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の生まるるや憂いと倶に生まる
ひとのうまるるやうれいとともにうまる
人間は生まれる時から心配ごとがつきまとい、一生心配事の連続であるということ。
浮生夢の如し
ふせいゆめのごとし
人生はまるで夢のように短くはかないものだということ。
蒔かぬ種は生えぬ
まかぬたねははえぬ
原因がないところに結果はないということ。努力もせずに良い結果を期待してもかなえられないというたとえ。種を蒔かなければ何も実るはずがないという意から。
実の生る木は花から知れる
みのなるきははなからしれる
すぐれた人物は、子どもの時から凡人とはどことなく違うというたとえ。よく実のなる木は、花が咲いた時からわかるという意から。「生る木は花から違う」「実を結ぶ木は花より知らるる」ともいう。
憂患に生き安楽に死す
ゆうかんにいきあんらくにしす
人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ。
良いうちから養生
よいうちからようじょう
何事も日ごろから用心すれば、失敗しないですむというたとえ。元気なうちから身体を大切にするのが、健康を保つ秘訣であるということから。
養生に身が痩せる
ようじょうにみがやせる
養生のために気を使ったり、金銭の心配をして、かえって心労で痩せてしまうということ。
世渡りの殺生は釈迦も許す
よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす
生活のためならば、多少の不道徳や無慈悲な行いは止むを得ないということ。
盧生の夢
ろせいのゆめ
人生の栄枯盛衰がはかないことのたとえ。昔、中国の邯鄲で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠り、富貴を極めた自分の一生の夢を見たが、目が覚めてみると、炊きかけの黄梁がまだ煮えきらない、ごく短い時間であったという故事から。